11-28
ドナルド・キーンに「工作員」説? 川端康成や三島由紀夫など大作家との関わり、研究への姿勢を見てみたら
2025-11-28
HaiPress
〈本を読もう、街に出よう〉
2019年2月、日本文学研究の権威ドナルド・キーンが亡くなった直後に、あるジャーナリストが「キーン工作員説」を唱えた。米国が外交政策上、ソフトパワーとして使った──とする仮説だ。確かに多くの日本人作家に好かれ、親米度アップに貢献した。
しかし、古典から近現代まで数多くの日本文学を海外に紹介して国際社会における日本の好感度向上に果たした役割の方がはるかに大きい。キーンを知る人たちは「むしろ日本の工作員だったのでは」と一笑に付す。(鈴木伸幸)

展示品について話すドナルド・キーン記念財団のキーン誠己理事長=いずれも世田谷区の世田谷文学館で
◆なぜ「工作員説」が生まれた?
キーンは2012年3月、日本国籍を取得した。その時に「外国人の時はお客さんなので遠慮したが、日本人になったので言いたいことを言う」と宣言。
そして始まったのが東京新聞の月1回連載のコラムだ。96歳で亡くなるまで70回続き、それをまとめた「ドナルド・キーンの東京下町日記」(東京新聞)には、親交のあった大作家の名と、文学史上、貴重な数々の逸話が連なっている。谷崎潤一郎、永井荷風、川端康成、高見順、安部公房、三島由紀夫、司馬遼太郎、大江健三郎、瀬戸内寂聴──。

多くの展示物で足跡をたどる「ドナルド・キーン展」
米中央情報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)の職員だったポール・ブルームと親しかったキーンは、彼の進言でジャパノロジストとなった。太平洋戦争の傷痕が残る1950年代に研究者として米国から日本に渡り、若くて無名だったにもかかわらず短い間に華麗な人脈を築いた。そんな背景もあって仮説は生まれたようだ。
キーンは卒寿となってからも精力的に研究を続けて新著を発表し、亡くなる直前には古今和歌集を読み込んでいた。その姿からは、日本文学への深い愛情しか感じられない。さらには逝去後の葬儀に米国大使館からは政治担当ではなく広報・文化交流担当公使が参列した。仮説を否定する材料は山ほどある。

展示されている日本文学に関する研究ノート
敗戦で国土は焦土と化し、意気消沈した大作家たちに、キーンは戦勝国から「...
残り
808/1615 文字
この記事は会員限定です。
無料会員に登録する
有料会員に登録する
ログインして続きを読む
有料会員に登録すると
会員向け記事が読み放題
記事にコメントが書ける
紙面ビューアーが読める(プレミアム会員)
※宅配(紙)をご購読されている方は、お得な宅配プレミアムプラン(紙の購読料+300円)がオススメです。
会員登録について詳しく見る
よくある質問はこちら



